僕がその女性と会ったのは、たまたま三蔵に用があって彼の部屋を訪れた時。
玄関に見知らぬ靴があるのに疑問を持った僕はリビングに座る彼女を見てその疑問が明らかになった。
物腰の綺麗な女性で、外見は特に何の支障も見受けられない普通の女性。

でも、三蔵が手話をし始めて解った。――彼女は耳が聞こえないのだ。


































僕は三蔵が労わるように、伝わるように優しい手振りで会話をしている姿が信じられなかった。
慣れた手つきの手話はどのくらい使い慣れていることなのか解る。それ程彼女と時間を共有してきていると言うことだ。
彼女もその1つ1つの動作を読み取って極々普通に手話をする。まるで本当に話しているかのような自然の、『会話』。
僕も少しは知識を持っていたので読み取ることができた。簡単に自己紹介をすると彼女は穏やかに微笑んだ。
その隣にはこの部屋の主、三蔵が照れているのか居心地が悪いのか、何とも言えない表情をしていた。
あまり知られたくは無い一面を見られた事による照れだと僕は解釈しておく。実際意外にもほどがある。
あの彼が優しい手つきで、しかも滅多に見せない柔らかな表情で彼女と『会話』をしているのだ。驚くのは無理も無い。
そんな彼を見て彼女は苦笑した。手もそうだが、表情でも会話をできそうだ。そのくらい彼女は表現豊かな女性だった。
一体この2人の関係はなんなのかわからないが三蔵が入れ込む…のも納得がいくような気がする。
僕も三蔵が居なければ気になって仕方がなくなりそうだ。そんな事言ったら怒られちゃいますかね?

『私はといいます』

彼女は綺麗な指で言葉を紡ぐ。そのしなやかな動きは見る人を魅了していくようで、声で会話ができない歯がゆさを消すには十分だ。
色々なパターンを10本の指で表現していく彼女は、とても扱いなれているようで聴覚を失ったのは随分と前の事だと解った。
その場でそんな野暮なことは聞かないが何故そのような障害を持ってしまったのか気になるのは確かだ。


――彼女はとても穏やかで、綺麗な女性だった。
その彼女を見守る三蔵も穏やかな表情で、とても愛しい者を見る様だ。
僕はその時思ったことは、きっとこの2人なら視線を合わすだけで会話ができるんじゃないか。そう思わずにはいられない。


彼女はニコリと微笑むと席を立った。どうやら客人にお茶を煎れる様だ。
お構いなくと言いたいところだが声は届かないのでタイミングを逃してしまった。でも彼女は気付いているに違いない。
席を立とうとした僕につかさず静止の手をかざす。僕はそれに甘えて腰を落ち着かせることにする。
人間は体の1部でも機能を失うと他の所がその穴を埋めるように、平均させるように他の所が優れると聞く。
彼女も聴覚を失っても気配などで周りを察せられる様になったのだろう。それにしてもこの器量の良さは生まれつきであると思う。
何も言われなかったら障害を持っているなんて解らない。自然で、ここまで自然になるのには苦労した事だろう。
方向感覚が損なわれているにも拘らず自然の動作で歩く姿は本当に、何処からどう見ても普通の女性。
しかしそれはフラリとゆれた背中をみて、実感させられた。彼女は、『音』をなくしてしまった。

「っ」

よろめいた彼女に咄嗟に手を差し伸べた三蔵は、本当に見たことの無い慌てようだった。
労わるように体を支えて一喝。何度もこういうことがあった様で手振りは1つだけ。彼女が座っていた場所を指差すだけだ。
やらかした、と言う様にはにかむ彼女は素直に元の座っていた席、僕の斜め前に腰を下ろす。少し照れているのが可愛らしい。

『よくこう言う事があるんですか?』

僕が手話で聞くと彼女はこれまた照れたように頬を染め指で言葉を紡いだ。

『そうなんです。いつも怒られてばっかりで恥ずかしいですよ』
『三蔵は怒りっぽいですからね。大変でしょう?』
『いやいや、私は面倒をかけてばっかりで申し訳ないというか』
『普段動かない人なんでコキ使えていいじゃないですか』
『それもそうですね』

声に出さない僕等は互いに笑いあった。三蔵に聞こえて無いのがなんだかいい気味だ。
しかしこの聡い男はしっかりとカウンター越しのキッチンで見ているから侮れない。そう睨まないで下さいよ。
コポコポと音を立てるコーヒーメーカーがこの穏やかな空気を引き立てる。居心地がいい。
きっと静寂だろうとこの女性と居ても気まずい雰囲気にはならないと思う。たとえ声が無くても、伝わる空気。
本当に、不思議な気分だ。全く三蔵は何処でこの女性と知り合ったのか聞き出したいところですよ。


――彼女は耳が聞こえなかった。
僕だったら音が聞こえないなんて事になったら発狂してしまうかもしれないのに、彼女は穏やかで、落ち着いた雰囲気の女性だった。
暗い影も落とさず、毎日賢明に、そして楽しく日々を過ごしているんだなとわかった。
それは彼女の持ち前の明るさからなのか、三蔵の存在のお陰なのかわからないけれどこれだけは言える。
彼女は『普通』の女性、だと。


「ソレ飲んだらとっとと帰りやがれ」

前の前に湯気をたてた入れたてのコーヒーが置かれると上から降ってくる声。
見上げると誰から見ても不機嫌な表情。そんな露骨に出さなくてもいいでしょうに。
そんな事言っても彼には通用しないのはわかっているから何も言わないであげますけど。ホラ、さんも怒ってますよ?

『お客さんにそんな事言わないの』
「るせぇ」

さんには頭が上がらないのか、拗ねた様子の三蔵に笑ってしまって睨まれるのは言わずと知れた事。
そっぽを向いてしまった彼にまた彼女と笑いあった。三蔵の眉間の皺が数倍増した。

それから僕は不躾にも数時間居座り続けた。彼女ともっと『話』がしたかったのだ。
彼女が紡ぐ『言葉』は面白く、とても楽しい一時を過ごせたと思う。時々三蔵が口を挟むがソレもまた面白い。
そろそろ潮時かなと思い席を立つころには日が暮れていて長居をしすぎてしまった様だ。
それ程居心地が良い空間は、また来たいと思わせるには十分で。ちゃっかり来る予定も立てたところでお別れです。

『また、いらして下さいね』
『もちろんですよ』
「お前はもう来るな」

三蔵の悪態にも慣れっこなのでシカトを決め込んだ。それより彼女が玄関先で僕に微笑んでくれたことが何よりも嬉しくて。
また、話がしたい。そう思いつつ僕は三蔵の部屋を出た。

帰り道は少し肌寒く、でも心は温かかった。今日は凄く得した気分だ。


――彼女は聴覚を失っていた。
しかし日々過ごすには全然苦ではないらしい。すごく、安心した。
結局彼女の事情は聞けず仕舞いだったけれど、それでもいい。兎に角楽しかったから今日は見逃してあげますよ。
もちろん、三蔵に怒られない程度にですけど。






手から伝わる言葉

    (誰にでもわかる、優しさが彼女にはあった)





ATOGAKI
なんだ。突発的に書きたくなったんですけど、なんだか八戒夢ですね。コレ。でも三蔵だと言い張ります。ごめんなさい(笑
課題が大きすぎたです。でも1度は書いてみたかったネタです。もう夢じゃないねコレ←
八戒視点なんですが、どうでしたでしょうか。もう私が発狂したくなっちゃいますよ。
たとえ耳が聞こえなくたって幸せ者のヒロイン。そんなほのぼのしたのが書きたかったんだ。そうなんだ。